注目
"M" が提供していること
更新:2024/7/10
”M”が提供していることが、先日オーナーさんから頂いたメッセージで言語化されたので、ここに残しておきたいと思います。
以下が頂いたメッセージです。
気持ち良いシフトアップ、シフトダウンを感じながら武藤さんのMサービスに感謝しきりです。
施工して頂いて以降、DIYへの興味が湧き、気になっていたフロントフォグの曇りを脱着して掃除してみたり冬休みにはご教授いただいたリアウィンドウモール(脇部分)交換等、いくつか経年劣化している箇所のDIYに取り組む予定です。
少しづつですが武藤さんのようになれるよう楽しみながら進めていこうと思っています。
これも武藤さんの「M」のサイトにたどりつくことが出来たことから始まっております。情報発信ありがとうございます。
僕が長年サービス化できたらいいなともやもやしていたことが見事に言語化されました。(メールいただきありがとうございました。)
きっかけ → 楽しめるかもという気持ち → 行動
"M"は、自分で手を動かして何か形になる楽しみ(感覚)を得る”きっかけ”を提供していきたいなと考えています。
会社では得にくくなってしまった仕事の"楽しみ"
僕は、日本をかつてモノづくり大国と世界から認められていた頃のような活気を取り戻したい、と思っている中の一人です。
こんな事を言ったら怒られれますが、僕の肌感覚では日本企業の7割は死んでいる(真価を発揮できていない)と感じています。(数字には根拠はなく、肌感覚です。)
ブラック企業、下請け叩きという言葉がいまだにSNSやネットであふれていることがその証拠だと思っています。
会社に勤めていると、なんか"やらされ感"がそこらじゅうにあふれていて、仲間も自分も仕事はやっつけと思ってしまっていることが多いのでは?と感じます。
かつて、昔の強いモノづくり日本を作ってきたと言われる大先輩方を、よく観察していると、プライドと誇り(=ある意味楽しんでいる)のオーラが日常で出ています。
全く同じ武勇伝を何十回も聞いていると、厳しい時代ではあったけれど、なんだかんだそれを楽しんでたんだなと感じます。
まるで、子どもの"見て見て"のように、自分が今まで実現してきたことを話してくれます。
仕事の価値は想いの強さに比例する、それを次の世代に繋げたい
今、この大先輩方の技術伝承がされないことが長らく社会問題になっていますが、"やらされ感”を出している相手に教えたくないのが人情です。
この先輩方に会社がいくらお金を積んでも、業務命令を出しても、会社にいてくれるだけでもいいと条件出しても、テコでも動かないと思います。
僕は、先輩方は仕事に情熱を持って面白がれる人にしか技術を教えてくれないことを体感しています。
おまけに、若手からは最近では働かないおじさん扱いされてしまって、溝は深まるばかりです。
それなのに多くの会社では、情熱を持って面白がるというのは、趣味とか無駄とか判断され、評価されないことが多いと感じています。
価値の本質は、趣味とか無駄を極めた先にしかないと僕は考えていますので、見せかけの効率重視で趣味や無駄が許容されない会社で良いものが生まれるとは微塵も思っていません。
すれ違う想い
企業に所属している方なら、仕事の評価基準が一律(標準的)であることに違和感を感じながら仕事をされている方も多いかもしれません。
僕自身、財閥系企業(プラントエンジニアリング事業会社)に勤めていた頃、気づいたことを改善するよりも、まずは標準的なスキル(みんながやっていることと同じ仕事)を身につけることを強制されました。
僕はこれに違和感を感じて反発していました。(結果、超劣等生評価をされていました)
自分が価値がると信じたことを主体的に進めるよりも、まずは基本やこれまでのやり方が優先されますね。
伝える側は基本が大事なのは身に染みて分かっていて、相手のためを想って言っているのもよく分かります。
でも相手は、なぜわざわざしなくても済む昔と同じ苦労をさせられなければいけないのか、と理不尽を感じていると思います。
伝えたい側は、この苦労を乗り越えた先に喜びや楽しみや充実感や進歩があると確信があるので、ついつい言ってしまいます。
しかし相手は強要されていると重く捉えてしまいがちです。だったら仕事として割り切ってプライベートを優先させる方向に行ってしまい、そのプライベート時間が削られるなら他の仕事に行ってしまう、というのは至極当然の流れだと思っています。
僕は、企業内でこの間に挟まれて、両者の想いが繋がる方法を試行錯誤し続けました。
本当にやりたいことに集中することが道
今、思い至ったのは、誰になんと言われようともやめたくないと感じることに取り組み続けることが進むべき道だと考えています。
所属部署、法規、規則、企業文化、スキル、時間など、ないと言い訳すればそれまでです。
そんなこと関係なしに、"やるにはどうすればいいか"と頭をよぎることが本当にやりたいことです。
おそらく、具体的にどうすればいいのかイメージがないかもしれません。
なぜこれが本当にやりたいことなのか、やりたいことってなんだ?と自分でわかってないかもしれません。
でもこのモヤモヤをモヤモヤのままにせず、具体的にしていくことが道だと考えています。
バカにされてもいいからまずは相手に話してみる。
やりたいことなら、バカにされてもムッとはするけど受け流せるはずです。
でもなぜバカにされたのか、どこがバカにされたポイントだったのか考えるはずです。
一方、共感してくれる相手もいます。
この相手が見つかった場合、自信になります。
自分にはない視点で言葉を貰って、やりたいことが具体的イメージ繋がる可能性があります。
これをもとにまた別の相手に話してみます。
これを繰り返していると、いつの間にか自分の行動が変わり、支援してくれる人が現れてきます。
本当にやりたいことの自己認識は具体と抽象の間にある
商品開発(やりたいこと)をやっていると、レビュアーからは具体的にどうするの?と徹底的に突っ込まれます。
少しは想像力を働かせて考えてくれよという本音が強く、やっぱり具体的にしてもどうせ変わると詰める気力が湧かないはずです。
商品に対する想いで押し切ろうとしても自分でもよくわかってない非論理的な想いばかりが先走ってしまい、相手に何も伝わりません。
とある商品開発プレゼンを例にとると、レビュアー(経営幹部)からは、商品の収益性を軸に市場セグメント、競合製品、優位性、開発にかかるコストと納期、収益を生み出す期間など詰められます。
プレゼンターの自分はおそらくそこじゃねーよと思いながらモヤモヤして受け答えしてると思います。
商品の素晴らしさや社会的価値、この価値が及ぼす社会影響などをわかって欲しいのに、聞かれもしないし、話せても で? で終わってしまいます。
で?じゃねーよバカちんが、考えれば素晴らしさがわかるだろう!が本音のはずです。(経営側の本音は割愛します。)
この想いの伝わらなさに、挫けてしまうことが大半ではないでしょうか。
挫けて諦めてしまうことは、おそらくやりたいことからずれているのだと思います。
でもなんかモヤモヤしているはずです。
新商品の社会的価値が抽象だとしたら、収益性は具体です。
モヤモヤの正体はこの間にあります。
おそらくプレゼンターである自分は、その商品を使っている自分の姿がイメージできて、その時に感じる気持ちが具体的にイメージできているはずです。
そしてその価値を他の人にも置き換えて、同じように感じているはずだとイメージできています。
要するにやりたいこととは、具体的にイメージできている自分の姿を抽象化すると"何なのか"です。
これを一般家庭に置き換えてみます。
妻(経営幹部)に対してやりたいこと(商品)を説明する夫(プレゼンター)がいます。
そして夫が今イメージできるやりたいことを”好きな車を買って所有する”こととします。
夫は、好きな車を買った後、乗ってる自分や関わる仲間との関係、家族とのドライブ、チューニングなどのエンジョイライフがイメージできています。
しかし、妻に説明したところでローンや現在の収入、他に使いたいこととのバランスなど現実(具体)を詰められるはずです。
一切、車を買った後のことは聞かれないと思います。話してもふーんで終わって暖簾に腕押し感漂って終わってしまうと思います。
なぜ家族のこと将来のことを思っているイメージ(抽象)が伝わらないんだ、バカちんが!と心の中で思ってしまうと思います。
大事なのは、ここの間が何なのかを伝えられるかどうかです。
僕の例を紹介すると、僕のこの"間"は、次の世代に自力で生きていく力とは何かに気づいてもらう為に試行錯誤の様子を見せる、ことです。
これを実現する為に、自分の持っているお金、時間、環境から何ができるか、何をすべきかを考えて行動しています。
自分のやりたいことが明確だと、不思議とお金も時間も環境も自然と整ってきます。
例えば、このブログ"M"の発信は、企業に所属または事業を営む、ちょっと社会に疲れて腐りかけた35〜50歳世代を元気にすることを目的に行っています。
彼らの置かれている状況を分析し、趣味を通じて問題を自分でなんとかしてみる面白さを再発見して、そのマインドを仕事にスライドしてもらうことを狙いました。
そして将来僕たちの子どもの上司になるだろう20代世代に、社内を通じてそのマインドが繋がることを想定しています。
僕一人ではできないけど、"伝搬する"ことが狙いです。
じゃあ僕のできることは何かを考えた時、憧れの車を長く大切に試行錯誤して乗り続けるというメッセージをブログで発信することが効果的ではないかとと考えて始めました。
情熱を注げて当時の僕で買える車がE46M3でした。
当時の僕は、これを妻に説明できるわけでもなく、もちろん何度も売るという話になりました。
しかし僕の中で"次の世代に自力で生きていく力とは何かに気づいてもらい幸せに生きてもらいたい"というぶれない軸があったので、続ける為にどうしたらいいか、と必死に考えて行動しました。
辛くて大変でしたけど、過ぎてみてネガティブな感情は全くありません。むしろ楽しかったと思えるくらいです。
僕は今、以下の事業を展開しています。これらの事業も"次の世代に自力で生きていく力とは何かに気づいてもら為に試行錯誤の様子を見せる"が軸にあり、"伝搬"を狙っています。
- TSUNAGI APP:自動車のDIYサポートプラットフォーム
- TSUNAGI CONSULTING:中古車/整備事業者支援
- AIKI:エタノール生産技術の研究開発
- TOYBOX:個人/小規模事業者の支援
この事業それぞれに協力してくださる方や、一緒にやろうと言ってくださる方、機会を提供してくださる方と引き合いました。
必要なモノも徐々に集まってきます。
思い返してみれば、会社に所属している間も同じでした。
現在”商品”は上記のような形ですが、潰して再構築して、潰して再構築をしてを繰り返して現在の形になっています。
大事なのは商品ではなく、その一つ上の階層にある考え方であり、行動であり、提供したいことであるわけです。
おそらくこれが本当の意味での"ブランド"であり、僕はこのブランドに"TSUNAGI"というワードを選んでいます。